平安京造営を起源とし、かつては東山・智積院(ちしゃくいん)の辺りで採れる粘土を用いて作られていました。
江戸前期には伏見深草の瓦師西村五郎兵衛が一枚で平瓦と丸瓦を兼ねた波型の桟瓦を考案。
民家にも瓦葺が浸透し、京都は瓦の一大産地として栄えました。
重厚で、かつ優美な印象を与える京瓦は、品質・色・つやの点で高級品とされてきました。

瓦の歴史
焼き物の瓦は中国で発明されました。そのご朝鮮半島を経てわが国に伝えられましたが、いろいろ改良が加えられ、今ではすっかりわが国の風土にとけこんだものとなりました。
飛鳥時代
瓦の伝来
中国から朝鮮を経由して、百済の瓦博士(瓦製作の専門家)によって瓦が伝えられました。
607年の法隆寺建立によって国内の技術者による瓦の本格的な生産が始まりました。
瓦の文様にもいろいろなものが見られるようになります。
文様は型によらず、瓦に直接彫っていました。
白鳳時代
軒丸瓦の蓮弁の中に小さな蓮弁状のもの(子葉)が加わります。
また、軒平瓦には弧を何本か引いて文様としたものが使われるようになります。
藤原宮で瓦葺き宮殿が建てられ、寺以外に瓦が茸かれた建物の嚆矢となりました。
奈良時代
宮殿や役所でも瓦がごく普通に使われるようになり、その文様の種類も多くなります。
また、特殊な瓦としては、緑釉(緑のうわぐすり)の瓦や、二彩・三彩の瓦が見られます。
それらは平城宮や、平城京に建てられた薬師寺や大安寺などで用いられました。
この時代の瓦は前代よりひとまわり小さくなり、軒丸瓦の直径は約16cmです。
軒瓦の文様は、軒丸瓦では複弁蓮華文、軒平瓦では均整唐草文が主流となりました。
平安時代
平安宮内裏や朝堂院、東寺や西寺で瓦が用いられました。
瓦の文様は、軒丸瓦の蓮華文は単弁が主流となり、瓦の直径も小ぶりになります。
東山・智積院(ちしゃくいん)の辺りから採れる粘土を用いた京瓦の製造が始まりました。
焼く前に磨かれることで、独特の光沢を誇ります。
鎌倉持代
平安末期の戦乱がおさまって、寺の建立や修造が盛んになるのにともなって、瓦作りも盛んになります。
この時代には大ぶりな瓦が多く作られました。中でも東大寺大仏殿復興のために作られた瓦は、軒丸瓦の直径が20cm、軒平瓦の幅が33cmもあります。
また、瓦当面に文字があらわされるようになります。
軒丸瓦の文様は巴文が主流になりました。
軒平瓦の文様は依然として唐草文が主流でした。
室町時代
瓦作りがさかんに行われました。近畿地方の寺にはこの頃に作られた瓦がたくさん残っています。
軒丸瓦は、やや小さくなり、文様はほとんど巴文で占められていました。
軒平瓦はやはり唐草文が主流です。
「瓦大工」の名で瓦作りの技術者が独立してきます。
彼らは、いろいろな工夫をこらして機能的な瓦を考案しました。
安土桃山時代
寺院城郭は瓦葺きでしたが、町家は石を載せた板葺きでした。
城に使われた軒瓦の中には金箔を貼ったものが見られます。
江戸時代
軒平瓦の文様部が中央寄りに狭くなり、両脇の外縁の部分が広くなりました。
桟瓦の登場
一枚で平瓦と丸瓦を兼ねた波型の桟瓦が発明されました。
桟瓦は、わが国独特のもので、京都の瓦大工西村半兵衛が工夫してこしらえ、三井寺の万徳院玄関の屋根に用いたのが最初だといわれております。
江戸幕府は当時、度重なる大火に悩まされ、火事による被害を最小限にくいとめるために、屋根を瓦葺きにすることを奨励しました。
初めは武家屋敷から、そして町人、とくに商家へと瓦屋根は広まっていきました。
その際、桟瓦の発明は瓦葺き建物の普及に大きく役立ちました。
同時に、瓦作りが産業として次第に確立していくことになります。
明治時代
民家の瓦葺きが、全国に普及していきました。はじめは都市部から、そして次第に周辺部へと及んでいきました。
製造方法による瓦の分類
製造方法によって、「いぶし瓦」、「無釉薬瓦」、「釉薬瓦」、「塩焼瓦」に分類されます。
焼き上がった色によって違いがよく解ります。
いぶし瓦
釉薬を使わず焼成した後に、空気を完全に遮断して「むし焼き」にする「燻(いぶし)化工程」が特徴です。焼成時に炭化水素ガスを接触させることで、瓦の表面に銀色の炭素膜を形成します。
主な特徴
いぶし銀色で美しい光沢があります。低温焼成で歪みが少ないため、多種多様な形の細工(鬼瓦等)が可能です。
使用地域
主に温暖な地域で用いられます。
有名地域
三州瓦(愛知県):いぶし瓦と釉薬瓦の両方を生産しています。
淡路瓦(淡路島):いぶし瓦の全国生産1位。
無釉薬(むゆうやく)瓦
釉薬を使わない素焼きの仕上げが無釉瓦の特徴です。粘土の段階で金属酸化物(二酸化マンガン、酸化第二鉄)を練り込み、焼成時の窯内での酸化・還元をコントロールすることで、独特の窯変色を造ります。
主な特徴
組み合わせる土により、色が変わります。
使用地域
主に温暖な地域で用いられます。
有名地域
三州瓦(愛知県)等。
釉薬(ゆうやく)瓦
粘土を瓦の形に整え乾燥させた後、ガラス質の釉薬を施してから焼成します。製造工程は釉薬瓦と同じです。
焼成の際に空気を遮断して造られる「還元瓦」や、釉薬の代わりに食塩を使う「塩焼瓦」なども釉薬瓦の仲間になります。
主な特徴
高温焼成による耐寒性に優れています。
使用地域
主に東北、北陸地方などの寒冷地帯で用いられます。
有名地域
三州瓦(愛知県):いぶし瓦と釉薬瓦の両方を生産しています。
石州瓦(島根県):釉薬瓦の全国生産1位。
塩焼瓦
焼成の最終段階で、食塩を投入して焼いた瓦です。その色から赤瓦とも呼ばれています。
投入された食塩は熱で分解されてガス状となり、さらに水蒸気と反応し、酸化ナトリウムと塩化水素に分解されます。さらに酸化ナトリウムが粘土中の珪酸とアルミナと化合し、珪酸ナトリウムとなり、これが赤褐色のガラス状の皮膜となります。この化学反応プロセスは複雑で、制御するのが難しいため、塩焼瓦の生産量は減少しています。
主な特徴
吸水率が低く、凍害に強く、変色しにくい。
形状による瓦の分類
和形
最も多く使われる粘土瓦で、その形状はわが国に独特です。瓦が右または左に重なって屋根全体の強度を増す仕組みは、江戸時代に考案されました。
(和形桟瓦、和形右柚瓦、和形左柚瓦、和形軒瓦)
洋形
明治の文明開化によって、洋風デザインの瓦がわが国でもつくられるようになりました。
洋形は当初、長方形の板状でしたが、大正時代には竹を割った形の上丸と下丸を交互に重ねるスパニッシュ形や、これを一体化したS形が登場しました。
(洋形F形桟瓦、洋形S形桟瓦)
その他
冠瓦、のし瓦、鬼瓦
京瓦の種類
6世紀末に大陸から日本に伝わった瓦は、寺院建築を中心に独自の発展を遂げました。京都には平安建都とともに伝わり、その後長い間、京都は瓦の一大産地として栄えました。現在は、屋根全体を覆う地瓦よりもヤクモノと呼ばれる鬼瓦・軒瓦などが中心となっています。
京瓦の種類は700種にものぼっており、寺院や神社、数寄屋から一般の町家まで幅広く使われています。
京瓦の主な種類
棧瓦葺用瓦
役物瓦
本瓦葺用瓦
住宅用の切落棧瓦
紋入役瓦
床用・壁用の敷瓦
貼瓦
塀用の瓦
瓦の利点
防火性:外部からの延焼を防ぐ
江戸時代までの庶民の家は草葺か板葺がほとんどでした。瓦葺が普及するようになったのは江戸という町の都市化と無縁ではありません。江戸は当時としては大変住宅密集度が高く、火事があるとまたたくまに大火となり江戸中に燃え広がりました。それを救ったのが防火性に優れた瓦葺だったのです。
通気性:室内空気を入れ替え、結露を防ぐ
現代の住宅の欠点のひとつは、密閉度が高すぎるということです。そのせいで室内の空気が淀んでしまい、室内環境を悪化させるだけではなく、結露による構造体が腐蝕するおそれもあります。住宅を長生きさせるためには通気性が大切です。そのため最近の設計では、ベンチレーション(換気設備)や窓の高低差を利用して、空気の流れを考慮しています。その点瓦屋根は、瓦そのものに通気性があるため、空気が淀んだり、結露したりするのを防いでくれます。
断熱性:夏の直射日光と冬の熱損失を最小限に抑える
瓦の断熱性は、金属屋根にくらべて極めて高く、カラーベストと比べても厚みがある分だけ優れています。また、瓦と屋根下地との間にある隙間のおかげで、夏の直射日光を受けても、屋内にはあまり熱を伝えません。
遮音性:雨音や風の音を遮断する
最近は屋内空間を有効に利用するために、屋根裏に部屋を設け、子供部屋や書斎に使うケースが増えてきています。しかしその場合には、雨音などへの対処を十分に考慮する必要があります。その点で、瓦は金属屋根材などに比べて厚みがあるので、遮音性に優れています。
耐久性:材質の変化や劣化が少ない
カラーベストなどの新建材の場合、見栄えがいいのは新築直後だけで、時間が経てば色あせ汚れていきます。一方、瓦は風雪を経ても劣化が少なく、むしろ古めかしい味わいが出てきます。メンテナンスが難しい屋根だからこそ、耐久性が大切です。
瓦の制作工程
1.粘土
2.粉砕
3.荒地造成
4.成型(手作り成型/プレス成型)
5.仕上げ
6.乾燥
7.窯入れ
8.窯焚き
9.窯出し
10.選別
11.結束
12.製品
瓦屋根の施工方法
和瓦には、土葺(つちぶき)工法と引掛葺(ひっかけぶき)工法があります。
土葺工法
瓦の下に土(葺土)を置く工法です。
長所
野地むらの修正が容易。
瓦にネジレがある場合でも瓦の安定や納まりがよく、屋根の美しさを強調することができます。
短所
土を余分に屋根に載せる為、重量が重くなります。
引掛葺工法
全ての瓦を桟木に引っ掛けて留めることで、瓦がずり下がるのを防ぐ工法です。 洋瓦についてはほぼ全てが引掛葺工法です。
長所
土葺工法では困難な、葺足を揃える事が簡単です。
施工技術を短期間で習得できます。
一日に葺くことのできる施工面積が土葺工法に比べて多いため、工事費が若干安くあがることがあります。
短所
瓦の安定性に難があります。(ただし、少量の土を要所に入れことで、対処することができます。)
瓦の産地と特色
日本古来の粘土瓦(J形)は、地元で取れる粘土を基に、人々の知恵と工夫の長い歴史の中で、その地域の気候・風土にあった瓦が各地で誕生しました。
愛知県 三州瓦 (釉薬瓦・いぶし瓦・無釉薬瓦・塩焼瓦)
愛知県西三河地方の旧国名から名付けられた「三州瓦」は、恵まれた粘土と立地条件から、粘土瓦全国一の生産を誇っています。主にいぶし瓦を中心に生産しています。
兵庫県 淡路瓦 (釉薬瓦・いぶし瓦・無釉薬瓦)
瓦の産地として全国でもっとも古い歴史をもっています。いぶし瓦の生産では全国第一位です。
淡路島の良質な粘土は塑性が良く収縮率が小さいため、精度の高い成形が可能です。瓦表面に独特な冴えをもたせた、美しいいぶし瓦が有名です。
島根県 石州瓦 (釉薬瓦・いぶし瓦)
江戸時代の中期、雲州地方の来待石(現在の八束郡宍道町)から採れる生釉を使うことで、石州瓦独特の「赤瓦」として注目を浴び、山陰はおろか北前船によって北陸から北海道にも運ばれていきました。
島根県石見地方の旧国名から名付けられた「石州瓦」は、高温焼成によって作られる独特の釉薬瓦です。耐寒性が特徴で、降雪の多い地域に市場を拡大しました。
福島県 益子瓦 (釉薬瓦)
17世紀半ばに会津藩主・保科正之の命で、美濃の陶工・水野源左衛門を招き、瓦とともに茶陶をつくらせたのが始まりです。本郷焼の若松城が有名です。益子焼と同じ釉を使用し、堅く耐寒性のあるのが特徴です。現在も郡山市周辺で、わずかですが生産されています。
栃木県 栃木瓦 (釉薬瓦)
江戸時代末期にはじまり、かた焼で丈夫な箱森瓦として有名になりました。広く関東一円に出荷しています。
茨城県 茨城瓦 (いぶし瓦)
奈良時代の国分寺建立を起源とします。現在も岩瀬市、八郷周辺で生産されています。
群馬県 藤岡瓦 (釉薬瓦・いぶし瓦)
茨城と同じく、起源は奈良時代です。藤岡市周辺と甘楽町が中心となっています。中でも藤岡市の鬼瓦は有名で、昔ながらの手彫りでつくられます。
埼玉県 深谷瓦 (釉薬瓦・いぶし瓦)
深谷で初めて瓦が焼かれたのは、約1200年前の聖武天皇の時代だといわれています。現在は飛躍的な技術進歩により年間約412万枚が生産され、いぶし瓦生産量では全国6位です。また、この地域は煉瓦の産地としても有名です。
埼玉県 児玉瓦 (釉薬瓦・いぶし瓦)
鎌倉時代、国分寺建立に瓦を寄贈した歴史を持ちます。良質の粘土を産出するため、品質に優れ、関東随一の産地です。
静岡県 遠州瓦 (いぶし瓦)
駿府城築城の折、三河の瓦職人が移住し、巴川(清水)の良質の粘土を利用して、いぶし瓦を生産したのが始まりといわれています。木目が細かく、滑らかな田圃の床土を使う為、遠州瓦独特の銀色の光沢があります。
岐阜県 美濃焼瓦 (いぶし瓦)
社寺瓦生産で有名です。
新潟県 安田瓦 (釉薬瓦)
安政年間(1854〜1859年)、越前の国鶴賀の千野半蔵より地元の淀屋長左衛門が製法を習い、職人を集め庵地に工場を開いたのが瓦生産の起源といわれています。褐鉄鉱の生釉を使用し、光沢のある銀鼠色で、耐寒性に優れています。別名「鉄色瓦」。(「還元瓦」に種別されます。)
富山県 とやま瓦 (釉薬瓦)
釉薬のドブづけで、耐寒性があります。
石川県 能登瓦 (釉薬瓦)
石川県産瓦の旧称です。とやま瓦と同様の耐寒釉薬瓦です。 なお、同じ石川県内に建立する金沢城は、窯業瓦ではなく、全国でも珍しい「鉛瓦葺き」で有名です。
福井県 越前瓦 (釉薬瓦)
北陸の気象条件にあわせた、艶のない独持の「越前銀鼠瓦(ぎんねずがわら)」を生産しています。紅柄を主とした生釉のドブづけと特殊な焼成方法で、雪下のときも滑らないという特徴があります。(「還元瓦」に種別されます)
滋賀県 八幡瓦 (いぶし瓦)
近江八幡は、300年以上前から続く瓦の産地です。
奈良県 奈良瓦 (いぶし瓦)
社寺瓦の生産が中心です。
飛鳥寺は日本で最初の瓦葺きの建築物として有名です。古瓦による編年の原点として重要視されています。飛鳥寺の瓦を焼いた瓦窯がすぐ近くの丘陵(飛鳥池工房の置かれた丘陵)の斜面から発見されています。
大阪府 泉州瓦 (いぶし瓦)
江戸時代、瓦生産がさかんな地域であったため、その時代には珍しく瓦葺きの民家が多く見られました。現在でも阪南市方面で生産されています。
兵庫県 明石瓦 (無釉薬瓦)
奈良朝から平安時代にかけて明石瓦が当時の都と直結し、瓦の生産を行いました。高丘古窯跡の8世紀前半より瓦の産地として1200年間続く伝統技術です。現在、製造を行っているのは1社のみです。
中崎公会堂
文豪・夏目漱石も建物の荘重さに、感嘆したという公会堂。明石瓦でふいた屋根や純日本風庭園に明治の趣を感じます。
岡山県 備前焼瓦 (いぶし瓦)
陶器の備前焼で有名な土地です。元禄13年(1700年)に藩主導のもと、瓦生産を始めました。
備前の鉄分とアルカリを多く含む田底土によって登り窯で1200℃位で焼き締められます。
愛媛県 菊間瓦 (いぶし瓦)
700年の歴史(弘安年間)をもつといわれる、いぶし銀の美しい瓦です。いぶし銀の光沢を放ち、何百年もの雨風に耐える強度と耐久性をそなえています。淡路のいぶし瓦より、少し黒っぽいのが特徴です。愛媛県菊間町は西日本有数の瓦産地です。
他に、同県の北条地区でも瓦が生産されています。
高知県 安芸瓦 (いぶし瓦)
元禄13年(1700年)に藩当局が、御用瓦を製造させるために、伊予国菊間村の瓦師半兵衛を安芸に招請したのが始まり。安芸瓦は、高知の瓦生産量の75%を占め、安芸市産業の一つとなっています。
宮崎県 宮崎瓦 (いぶし瓦)
昭和初期に始まり、現在も、いぶし瓦生産量九州1位を誇ります。都城市に近い山之口町に窯元が多くあります。
福岡県 城島瓦 (いぶし瓦)
筑後地方の瓦の歴史は17世紀初頭に、丹波地方より伝わったのが起源と言われています。筑後川の水利と原料の粘土に恵まれた事もあり、生産を拡大しました。船を使い、長崎天草方面へと多く出荷されていました。
「関ヶ原の戦後、丹波の国より有馬公が瓦工を伴いて、筑後に封ぜられてより瓦業興る」と語り伝えられています。
鹿児島県 日置瓦 (いぶし瓦)
明治の初期、日置の明信寺・吉利の清浄寺の建立時、日置に窯を築き、瓦を焼いたのが始まりといわれています。鹿児島県の特産品に指定されています。
鹿児島県 鹿屋粘土瓦 (いぶし瓦)
昭和初期に始まり、現在も日置瓦の2倍以上の生産量を誇ります。素材は宮崎県北諸県郡山之口町の粘土を使用しています。
沖縄県 沖縄赤瓦 (素焼)
屋根飾りのシーサーでも有名な沖縄を代表する赤瓦です。クチャ(海成堆積物)の泥岩を原料とします。 赤色が定着していますが、昔は灰色系の瓦が主流だったようです。