ようこそ ゲスト さん     ID:  パスワード: ログイン   無料登録   パスワード紛失  
日本、いにしえ
日本、いにしえ伝統産業 > 衣 > 型紙
型紙

型染めは奈良時代前期に大陸から日本に伝わり、江戸時代には小紋染めなどが広く行われていました。
型染めは様々なものの染色に用いられます。
なかでも、京友禅(型友禅)・江戸小紋(えどこもん)・沖縄の紅型(びんがた)・浴衣(注染)などが代表的です。
また、陶器の絵付けやすりガラスにも用いられることもあります。
型染めを行う時に欠かせないのが、型紙です。
型染は、下絵を写し取り、小刀で彫り抜いた型紙を生地の上において染める技法です。
型紙には、写真型と手彫り型があり、意匠の特性によって使い分けられます。この型紙にも熟達した技が求められ、それだけに精緻な美しさを誇っています。
型紙は、染めの技術とともに発展し、日本の伝統産業を支えてきました。
その技術は世界に誇れる水準に達しており、人間国宝に認定された方々の型紙も多く利用されています。

型紙の歴史

型紙の歴史の始まりは、型染めが大陸から到来した奈良時代にまで遡ります。それ以後、中世、近代を通して、新たな技法を導入しながら、その伝統を現代に伝えています。

奈良時代

型紙(伊勢型紙)の起源は、明確ではありませんが、伝説・伝承によると、神亀年間(724〜728)に「孫七」という人が型紙業を始めたといわれています。また、鈴鹿市寺家町にある子安観音寺の不断桜の虫食い葉を見て面白く思った久太夫という人物が、虫食い葉を紙に当てて彫ったという伝承も残っています。

平安時代

延暦年中(782〜806)の型売株仲間について書かれた『形売共年数暦扣帳』には、「白子地方に型売り四人あり」と記されています。

室町時代

室町時代末期には、「白子型」と呼ばれる型紙があり、型紙はすでに全国的に流布していたようです。(狩野吉信の『職人尽絵』に型紙を使用している染職人が描かれています。)

江戸時代

白子村・寺家村(鈴鹿市)が徳川御三家紀州藩に編入され、その保護政策が、型彫り・型売行商を飛躍的に発達させました。
型売りの「株仲間」(同業組合の一種)による専売体制が形成され、型紙産業は全国的に発展していきました。

明治時代

強力な専売体制は、明治まで続き、その後、彫りの技術は京都など全国各地に分散しましたが、地紙(渋紙)の生産は現在でも100%白子・寺家地区で行われています。
地紙製造の際の「室入れ」も、明治時代に考案されました。

大正時代

大正十年には、型紙に絹の網を漆で貼り付けて補強する「紗張り」という技法が考案され、「糸入れ」技法に替わるものになりました。

現代

近年は、生活様式の変化によるきもの離れは著しいものがあり、また、手彫りに代わる写真型の技術が確立されたため、型紙の生産は激減しているのが現状です。

 

型染めの一般工法

1.まず模様を彫った型紙を染める布地の上に置き、その上から防染の糊を引きます。
2.型紙を取ると、彫った模様の形に糊が布地に残ります。
3.これを乾かして、布地全体を染料で染めます。
4.その後、糊を洗い流すと、模様の部分が白く残ることになります。

同じ模様を何回も繰り返し染められることや、同じ柄のきものを何反でも染められることが型染めの特徴です。
1色に付き1枚の型紙が必要なため、色数の多い模様には100枚以上の型紙が必要なこともあり、特に振袖などには、一反に700〜800枚を要する場合があります。

 

人間国宝に認定された人々

南部芳松(突彫)、六谷紀久男(錐彫)、児玉博(縞彫)、中島秀吉(道具彫)、中村勇次郎(道具彫)、城之口みゑ(糸入れ)
(順不同、敬称略)

 
広告
Copyright (C) Tauchi Architet Office Co.,Ltd All Rights Reserved.